Fraction




足元がふらつき、咄嗟に壁に手をついて身体を支えようとしたが、其の侭ずるずると壁伝いに滑り落ち、兵護は無様に血で濡れた床に倒れこむ。

敵戦艦を落とせ、という指令は果たした。
この戦艦が落ちるのも時間の問題だろう。
機関室さえ破壊すれば戦艦は落ちるとはいえ、其処まで行くための道のりでこの戦艦に乗り込んだ自分以外の味方の殆どが命を落とした。
そして自分も今にも崩れ落ちそうな身体を引きずるようにして甲板へと出てきたはいいものの、こうして死に掛けている。

立ち上がる力さえ尽きた。今まで、気力だけで保っていたようなものだ。此処まで立っていられたことこそが奇跡だというべきだろう。
体中に受けた傷から血と共に体温が流れ出てゆく。頬が当たる冷たい鋼鉄で出来た甲板と吹き荒ぶ風は自分のぬくもりを際限なく奪ってゆく。
死が間近に迫っていることを兵護は妙に安らかな気持ちで受け入れた。
このまま放っておけば遠からず死ねるだろう。死を誉れだと思ったことは一度も無いが、戦の果てに散るならば悔いは無い。何もかも、在るがままに受け入れるだけ。

…唯、ひとつだけ未練が在る。
あの、刀の扱いだけは熟練しているが、心は幼子のように純粋な青年の生きる様を此れから見ることが叶わないことだけが心残りだった。
だが、今はもう眠たくて何も考えられない。
考えたくない。
…少し、疲れた。
瞼を閉じる。
眼を開いていても、視界に映る世界が何も意味を成さないのなら眼を開いていること自体が無意味なのだ。 しかし、意識を手放して安らぎの世界へと旅立ってしまいたいのに、兵護の身体に交互に襲い掛かってくる凍えるような寒さと焼け付くような熱さが其れを許さない。
感覚が麻痺して痛みを痛みとして感じることすら出来ていないというのに、其れでも生きたいと、この身体は叫んでいる。
意識を失えば、もう其処に在るのは死でしかないことを分かっているのだ。
だが、其れでも、もう眠らせて欲しいのだ、と切実に思った其の時。
唯一残っていた聴覚が足音を感知した。足音は一人。自分に近づいてくる。
鈍っていたはずの思考回路がそう判断した瞬間、其の満身創痍の身体の何処にそんな力が残っていたのか、動かすことも出来ずに投げ出していた腕がぴくりと反応し、危険が近づいていると判断したサムライとしての本能が咄嗟に刀を捜し求め、指が床を掻いていた。
瞼を持ち上げたものの何も見えない。在るのは唯、只管に広がるぼんやりとした闇だけ。

其れでも。

立て。立って、戦え、と。
己の意思ではなく、勝手に身体が動いた。
殆ど勘で己の愛刀を探り当てると、柄に指を絡める。
だが、持ち上げるどころか握ることが出来る力すら自分には残っていないという事実に今更ながらに気づいて。
漸く、諦めがついた。
足音が直ぐ近くで止まるのを聞いて、兵護は喉奥から搾り出すように声を吐き出す。
「…慈悲、を――――…」
死を呉れ、と。
味方でも敵でも誰でもいい。楽にして欲しいと。
自刃というのも考えたが、其れは性にあわない。
否、其れ以前に其の力さえ残っていないのだ。
風に紛れて消えてしまいそうな、其のかそけない声を確かに足音の主は聞き取ったらしい。
「…未だ、早い」
兵護がよく知る人物が珍しく声音に感情を乗せ、そう応えた。
色濃い疲労の滲む嗄れた声に微かな驚きが兵護を襲う。
そもそも気配を消すことには優れているこの男が足音を立てることは殆ど無いといっていいのだ。だが、今は其れすら出来ないのか足を引きずるようにして歩いている。
「死など、求めるな」
虚ろな言葉が悲鳴のように聞こえた。
「俺、から…逃げるな。――――生きろ」
勝手なことばかり言うと思いながらも、頑是無い子供の我侭のような其れが可笑しくてほんの少しだけ兵護は眦を下げた。
「兵護」
名を呼ばれ、自分でも思わぬほど力が抜けた。
嗚呼、俺は安心したのかと思いつつ意識は闇に呑まれた。









お粗末!