緋に惑う
爬虫類のような眼でねめつけ、ぬたりと嗤う口唇。嬲るように動く足先とは対照的に、その紅さに熱を感じる。ぎりと奥歯を噛み締め、其の眼に映る屈辱的な己の姿を見ない為に眼を瞑った。
だが、逆に視界を閉じた事で自在に蠢く足の指の感触を克明に感じ取る。
後ろ手の戒めを解こうと足掻いてみせても、朱の調緒はきりきり手首に食い込むばかりで、いっかな埒があかない。如何やら膚まで薄く擦っている。びりとくるその痛みに意識を集中してみせようとした。が。
背筋を這い登る馴染んだ感覚に熱の篭った吐気が意図せず唇から零れ落ちる。
此れ以上は駄目だと理性が警鐘を鳴らすものの、如何しようもないこの状況に臍を噛んだ。
其の間にも彼の者の足先はつい、と戯れのように服を乱し、開いた隙間からするりと滑り込んでは肌を辿る。抓み撫で圧す、其の動きは明らかな欲望を伝えるもので、普段とは又違う刺激に込み上げる感覚を必死で押し殺した。
ふいっと顔を背け横目でちろりと様子を伺うと、如何にも愉しそうに此方を弄る表情に全身の血液が逆流しそうになる。捩るように身を躱し、くたりと脱力するように熱い吐息を洩らす。
ひく。
項垂れる様な態で、すぅっと骨ばった甲を舐め上げると、先程まで好き勝手に蹂躙の程を尽くした足先が、戸惑うように震えた。
其処に刻まれた刺青を舌先で辿ると鮮やかな色合いがてらりと濡れ光る。
動きが止まったのに微かな安堵を覚え、首を傾け細くしなやかな足首にかりと歯を立てた。
せめてもの意趣返しだと考えながら、狂気の沙汰だと己を嘲笑う。
この様な事をすれば如何なるか判らぬ程、愚かではあるまいに。
思った瞬間、足先が顎下に滑り込み、己の顔を強引に仰向けた。
「堕ちてみせろ」
「断る」
真っ向から目合い、其れでも尚きっぱりと言ってのけたのは、矜持の為せる業。
遥か昔の、未だ空に居たころに流行っていた刺青。今の己らの暮らしを考えると、あの頃は幻だったのではないかとさえ思える。唯この胸に微睡む龍と、彼の地に臥せる虎を除いて。
――堕ちる所等、疾うに喪った筈。斯の煉獄の底で、未だに己が飛翔しているとでも夢見ているのだろうか此の男は。
憐れみを通り越しての滑稽さすら憶えながら、朱を刷いた目元を歪ませた。
「おぬしこそ―――何時まで、そうしている心算だ?」
躯は縛られ動く事すら儘成らぬ。乱れた着衣、上気した頬。そして朋輩とも思う男の前に跪くという屈辱。
そうでありながらも昂然と顔を上げ、口の端を上げる。冷笑が其の昏い色の紅を塗られた唇を彩った。
「未だに高みに居るというのであれば、」
じりじりと躯の芯を己を眺める眼と同じ色の焔が蝕んでゆく。
「堕とせば好かろう」
「おぬしの言う事は、時々良く判らぬ」
ぽつりと泡沫の様に落とされた呟き。
故に行動するまでだ、と行為を再開する男の眼が鋭く細いものになる。其の移ろいゆく一瞬に、ふと寂しげな昏い色が映り込んだ気がした。
―――吁、お前は最初から判ろうともしていなかっただろう!
甘美な責苦に苛まれ、身の内よりの焔に焦がされながら、思考は混濁してゆく。
判ろうともしていなかった、判ろうともされなかった。だが其れで好かった。互いに確と在りさえすれば。
最早還る空など何処にも無いのだ。
互いの居る所が、還る場所。
届かぬ空に焦がれながら、飼い馴らされた抜け殻のような躯で安穏と緩慢な死を地で迎えるのみ。
「ふ…っ」
細く吐いた息がまるで泣くのを堪えているように響く。
諦めてしまえば楽になれる、か。
自嘲気味にそう思い、ふと眼を見開いた。
この目の前の男は。融通が利かない上に、折れるという事を知らぬ。
其れは酷く苦しいものなのではないか。
苦くざらついた、そして何故か薄く甘やかな感情が小波の様に立ち上がる。この男の、恐らく自身でさえ気が付かぬ程の心の機微を気取れるのは自分しか居るまい。
ならば、受け容れてやる外はあるまい。
柔らかく憫笑する様子に、空気が変わったのを感じ取ったのか。此方を責め立て、追い詰めるかの様だった動きが、甘えかかるかの様に変化した。
こうやって受け入れてしまうのもある種の諦めと言えるのか。厭それとも錯覚なのかもしれない。もう、それでも良かった。
誘うように、挑むように。我ながら安っぽい手管だ、と思いながら軽く舌を出す。
眸は未だ閉じない。全てを受け容れる為に。
其れに男が見せた逡巡は一瞬。
野生の獣のように用心深くゆっくりと顔を近寄せ、吐息が一瞬だけ唇に触れ、離れた。瞬きもせずに鮮やかな緋の眼が己を見詰めているのを感じる。
「…閉じろ」
乾上がった喉から掠れた声を上げる。
「む」
幼子のようにこっくりと頷き瞼を閉じる。ばさり、と睫毛が乾いた音をたてた。
前髪にちくりちくりと苛まれながら、ゆっくりと口付けを落としてゆく。鼻腔を擽る髪の匂いと、口唇に刺さる睫毛の硬さ。凡てが、馴染んだ感覚。
初めは軽く、次第に深く口唇を喰む。舌先でさわさわと歯列を撫でてやると、腰に這わせた手に力が入る。 争う様に、睦みあう如くに、舌を絡ませ煽り立てる。
―――そうだ、追って来い。
誘う様に引いてみせると、焦ったように此方の口腔内へ侵入してくる。それに軽く歯を立て、舌の裏側をねろりと一撫ぜ、隙に再度丸めた舌先で上顎へ仕掛ける。
唾液を飲み下す暇も、呼吸をする余裕さえ無い。血よりも甘いころしあい。
己を封じる紐と腕は、尚もきつくきつく成るばかりで。僅かの空気すら入れまいと、まるで縋りでもするかの様だ。
互いの雄が反応しているのを、今更ながらのように思い知らされる。
此処まで来ればもう後戻りは出来ない。
否、元より後戻りなどする気も無い。
「は……っ」
分け合う熱は躯中に蔓延し、脳髄まで蕩ける。指の先が痺れるような、この交歓。
身体全体から伝わる欲望を最早隠す心算も無く曝け出す。
仰け反った喉に歯を立てられ、くく、と押し殺した笑いが喉奥から洩れた。
全く、馬鹿げている。
「……好い加減に解け」
少々罅割れた声音で、言い放つ。
結局事の最中にも戒めは解かれず、自身も半ばからは如何でも好くなっていた。
侍で在る筈の己が、身体の自由を封じられていた事。其れを之の男には容すという事。
その事を解っているのだろうか。之の、未だに腰に纏わり付いたままの男は。
顔色を伺うかのようにそっと見上げて来る様は、在りし日と変わらず。覚えずに胸中に浮かんだ想い。
お前はお前でいろ。俺は俺でいるから。
此れを「祈り」と呼ぼうか「誓い」と呼ぼうか。それとも、「呪い」とでも名付けるのが相応しいだろうか。
自分の言葉に従った男の手が自分の腕に絡んだ紐を解こうと動き出すのを視線だけで追いかける。
其の感情の呼び名は違おうとも、込められたものは同じ。
俺のように惑うな。
想いは空気に觧け、音と成ることなく熄えた。
<了>
以下、後書き。
…では御座いますが、読後感が台無しになる可能性が大なので其れでも好いというお方だけスクロールしてお読みください。
因みに、別に読まなくても大丈夫で御座います。
このお話は游宴亭の霜月様との合作で御座います。
互いにメールを遣り取りをしておりましたら、この話の序文が紛れ込んでおりまして、其れが全ての発端で御座いました…。
当方も其れに創作意欲を掻き立てられて、つい短く続きを書いて送ってしまったのです。
そしてアレよアレよと云う間にこうかん小説と相成りまして。
上記の話が出来上がったので御座います。といっても、当方殆ど何もしておりませんが。
霜月様は当方なんぞ足元にも及ばないくらいエロい…違った偉いお方で御座います。
ヒョーゴさんの胸にある龍の刺青と、キュウゾウの足の甲にある虎の刺青の設定もキュウゾウの足攻めネタも、当方が考えたわけではなく、全部霜月様が考えたネタで御座います。
因みにヒョーゴを後ろ手に縛ったのも霜月様で御座いますから、お間違えの無いように。マァ、当方も緊縛とかSMとかは好きですけれどもNE!(ぶっちゃけた!)
そういえば、初期の頃はもっとエロくする心算だったので御座いましたっけ?具体的描写とか。
霜月様がそう云っていたような。
|