What would you like?




兵護は顔に落ちてくる髪の毛を苛立たしげにかき上げ。
無意識の内に懐に手をやり、眉根を寄せた。
微かな溜息を零すと、解れた髪に手をやる。
「櫛は持っていないのか」
不意に抑揚の無い平坦な声が耳に届いた。
乱れた髪を手櫛で等閑に整えていた手を一瞬止め、兵護は声の主を見やる。
唐突に現れる気配にも前振りの無い言葉にももう慣れた。
「以前は持っていたが、何時の間にか失くした。無くても特に支障が出ないゆえ今は持って居らぬ」
応えながらも、手早く紐で長く伸びた髪を括る。
汚れても洗う事すら儘成らぬ痛みきった此の髪では櫛など通るまいよ、と云うと、久蔵は曖昧に頷きそのまま何処かへふらりと消えた。




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"櫛は持っていないのか"
"昔は持っていたが、今は持って居らぬ"

それっきり其の様な会話を交わした事など兵護はすっかり忘れていた。


「兵護」
人通りの多い通路で、背後から声を掛けられ振り向く。
珍しい事もあるものだ。
そう思いながら、兵護は滅多に戦艦の中で見かけることの無い久蔵に真っ直ぐな視線を向けた。
「何だ」
左手に下げた小さな包みを久蔵は兵護に向けて投げかけたが、思い直したように兵護の近くまで寄ると包みを差し出した。
「…何だ此れは」
「やる」
相変わらず意思の疎通が出来ずに涙が出てくる。
単語で喋るな文脈で喋れ、この宇宙人。
と、思っても云わない程度には兵護は大人だった。
「だから中身は何だと聞いている」
「見れば判る」
当然だ。
云いたいのをぐっと押さえ、兵護は強引に押し付けられた包みをしぶしぶ受け取った。
思ったよりも軽い。
其れを見て、此れで用事は済んだとばかりに久蔵はくるりと背中を向けた。
「あ、おい、待て…!」
慌てて呼び止めたが、聞いていないか聞こえていないのか(聞こえているが無視したというのが一番在り得る)、紅色の背中は足を止めることなく人込みに紛れて消えた。




人込みに消えたキュウゾウの背中を追いかけるのを放棄し、ヒョーゴは手に残された小さな紙包みを胡乱げに見やった。
意外と可愛らしい見た目なのが逆に恐怖感を煽る。
一体何が入っているのだ、此れは。爆弾か、其れとも果たし状か?
新手の精神攻撃か。
あやつの考えだけは読めぬ。
本当に人外じゃないのか、と考えかけ。
余りにも在り得る話なのでヒョーゴは其処で考えるのを諦めた。
若しもキュウゾウと爆弾のどちらかを選べ、と聞かれたらヒョーゴは迷うことなく爆弾と応えるだろう。
爆弾の方が危険だとわかっており尚且つ取り扱い方も知っている分未だマシだ。
キュウゾウの場合は爆弾よりも危険なものに分類してあるのに扱い方すら判らぬ。
出来ればその様なモノには近寄りたくすらないと思っているのに、何故かは判らないがこうして向こうの方から近寄ってくる。
何故縒りにも拠って自分なのだ。
その様な事を考えていた為、狭い戦艦の通路の端に寄り、手にした包みを親の敵のように睨む其の姿が激しく注視を浴びている事を本人だけは気づいていなかった。




人の往来が激しい通路で他人と滅多に交わらぬ男が誰かと何事かやり取りをしていれば其れは誰もが興味を魅かれるだろう。
元より激しく目立つ格好をした男だ。人の注目を浴びぬわけが無い。
其の事を今更ながら痛感し、今此処に居ない男を兵護は心の中で激しく罵った。
周りの視線が、痛い。
期待されているのはわかる。
何を期待されているのかも、わかっている。

"其の包みの中身は一体なぁに?"

そう云っている皆の心の中の声まで聞こえてきそうだ。

頭が痛い。
額を押さえ、兵護は俯いた。

嫌がらせとしか思えない久蔵の行動に殺意さえ覚える。
目立ちたいとは欠片も思っていないのに、何故か奴のお陰で何時の間にか自分まで有名人だ。
あのひとだれ?ああ、あのひとはね、ひょーごっていうらしいよ!
そんな会話が交わされるほどには顔が知られているらしい。
畜生。何もかもあの金色頭のせいだ!
怒りのまま包みを握り潰しかけて、慌てて掌を開く。
なにやら硬い感触に頭を傾げた。
そういえば、先程も久蔵は投げてよこそうとしたのをやめていたな、とふと思い出す。

幾許かの躊躇の後。
覚悟を決めたように兵護は包みを思い切って開いた。




逆さにした包みの中から掌に零れたのは美しい細工の施された簪と櫛。
そう派手なものではないが、一目でそれなりに値の張るものだと判るような代物だ。
確かに此れなら落としたりなどしたら、簡単に壊れてしまうだろう。
久蔵が投げずに手渡したのも頷ける。
が。
其れと此れとは別の問題だ。
兵護は麻痺しかけた思考でそう思った。

紅。
何故、紅なのだ。
付けろとでもいうつもりなのか此れは。

駄目押しのように、一番最後に転がり出てきた小さな貝殻に入った紅を見た瞬間、兵護はその場に硬直した。
櫛ならばわかるのだ。あの髪に執着している男だから、簪も未だわからんでもない。
しかしながら櫛に関しては「要らぬ」と云った筈だが、あの莫迦めは恐らく聞いていなかったのだろう。

だが、何故紅まで入れる必要があるのだ。

余りの衝撃に兵護は暫くその場に呆然と立ち尽くしていたが、はっと我に返る。


何時の間にか己の周りに人垣が出来、見世物にされていた。





その場から脱兎の如く逃げ出すと、久蔵が戦が無ければ飽く事も無く日がな一日空を眺めている事を知っている兵護は迷うことなく甲板へ通じる道へと足を向けた。
すれ違い様に指を指されたり、「あぁ、あの…」と小声で囁かれるのは見ない振り、聞こえない振りをする。
精神衛生上、その方が身の為だと厭というほど知っている。
やがて人通りも少なくなった狭い通路を通り抜け、外へ出る扉を開いた。

予想通り、其処で刀を抱いて蹲る背中を見つけた。
まるで戦を待っている様だ、と兵護は思った。
未だ見ぬ戦場での逢瀬を思い描き、恋人を待ち焦がれるかのように。
刃交わすときを臥龍の如く今か今かと待っている。

久蔵という男は別に人と共に在ることを拒んではいない。
唯、其の眸には空しか映っていないだけだ。

「久蔵」
其の背に声を掛ける。
ちらりと声の方向に目をやっただけで久蔵はまた視線を空に戻した。
其の行動に元々むかっ腹の立っていた兵護は更に憤然とする。
贈られた品々に対しての不満は全く無い。
唯、勝手に贈りつけてきた(押し付けたとも云う)本人に対しての理不尽極まりない怒りがあるだけだ。
久蔵が刀に手を添えなかった事を承諾の意だと勝手に断じて、兵護は空を見たまま動かぬ男へと近付いた。


「おい」
確かに兵護は思ったことをそのまま口に出さぬ程度には大人だったが。
「……!」
口よりも足が先に出るほどには大人気なかった。
「…痛い」
頭に踵落としを喰らったキュウゾウは憮然としたように呟く。
「当たり前だ、この馬鹿者!」
避けようと思えば簡単に避けられたであろう攻撃を久蔵は敢えて受けたのだと兵護は知っている。
一番最初の攻撃を受けておけば、あとの説教は短くて済むと思ってのことだろう。
そして、其の予想通りになる自分を兵護は苦々しく思いつつ、やや冷静になった頭で言葉を投げた。
「あの簪やら櫛やらは如何した」
「購った」
キュウゾウの返答は相変わらず端的過ぎて、溜息しか出てこない。
「あれだけ在れば好いだろう」
「…あれはお前が選んだのか」
僅かに頷くことで首肯する。
「要らぬと云ったであろうに。大体あの紅は何だ」
「要らぬとは聞いておらぬ。若し要らぬなら捨ててしまえ。紅は」
一呼吸置き。
「おぬしに、似合うと思った」

「…莫迦めっ!」
一瞬だけ言葉を失い、兵護は顔に血が上るのを誤魔化すように声を上げた。
「大体、おぬしは如何してあのような人通りの多い所でこのようなものを渡すのだっ!お前が紙包みを俺に渡したという唯其れだけの筈の話が面白おかしく誤解されたまま回りまわって広まった挙句、きっと今頃は結納を済ませたという話にまで成っているぞっ!」
「…嫁になるのか」
「ならぬっ!!」
力いっぱい否定する。其れに僅かに残念そうな表情を久蔵は浮かべた。
しかし、ふと何かに気づいたかのように言葉を継ぐ。
「…人の、居ないところであれば好かったのか」
「当たり前だっ!!」
例えば?尋ねた久蔵に兵護は僅かにいぶかしげな顔をしながらも律儀に応えた。
「部屋で渡すとか、…方法は幾らでもあろう」
「部屋で。」
「そ…そうだ」
不意に得体の知れない異様な迫力を感じて兵護はたじろいだ。
「二人きり。」
兵護の額に脂汗が滲む。
何故だ。何故自分はこんな男の単語一つに此れ程まで恐怖を感じなければならないのだ!?
「くっ…!」
だが此処で屈するわけにはいかぬ。
最早こうなれば意地だ。わけもわからぬ此の状況で殆ど自棄に成った兵護は無駄な虚勢を張った。
「っ、…其れがどうした!」
「理性が、持たぬ」
お前に理性などというものがあったのか。
つい、ぽろりとそう云いそうになって兵護は口を噤んだ。
其れは大人だからという理由でも理性が拒んだからでも無く、目の前の男が。
欲望など、サムライを斬るしか在りません、というような(少ないように見えて実はかなりの容量を占める)どちらかといえば淡白そうな顔でポッと頬を赤らめるという細かい芸当をしてみせたからだ。
其れだけで呆気なく兵護のなけなしの意地が崩れた。
「………邪魔をしたな。此れは有難く貰っておく」
くるりと背を向けて兵護は歩き出そうとした。
其の背中に久蔵の言葉が投げられた。

「次は、二人だけの時に」

其れが叶えられたかどうか、当事者たち以外知るものは居ない。
唯。
それ以降、兵護の髪を時折飾るようになった簪が幾つか変わったとかいなかったとか。