泥む赤 - be bound by Red -
飛び散った血がひらひらと舞い散る紅い花弁のようだと思った。
己の顔に掛かった温いものをぬるりと指で辿る。
血だ。
何の変哲も無い赤色の血。
見慣れている、この戦場では常に其れが流れているのだから。
其れを流す為に己の手があるのだろうとさえ思っていた。
だのに。
「…兵護?」
不思議そうに呟いた久蔵の目の前で、ゆっくりと兵護の躯が傾いだ。
彼が身に纏う外套が見る見るうちに真っ赤に染まってゆく。
斬られた箇所から流れる鮮血によって。
己の身体を支える為に、兵護は手にした刀を地に突き刺し、けれど抗いきれずに膝から崩れ落ちた。
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次の瞬間、わけのわからない衝動に突き動かされ、初めて久蔵は戦の最中であるというのに手にした刀を放り出した。
敵の死だけではなく、同胞の死は幾らでも見てきた。
その全てに何も思うことなど無かった。
久蔵にとって楽しいのは斬り合いであって、死を与える事ではない。
悦びを覚えるのはサムライ同士、互いに刃を交わす其の刹那だけ。
それ以外の感情など、知らない。
こんな、心が闇に呑み込まれるような感覚など。
一度も味わった事が、無かった。
「兵護」
ふらりと頼りない足取りで兵護の側に寄って膝をつくと、其れしか言葉を知らないかのように幾度も名前を繰り返す。
倒れ臥した兵護へと伸ばした手が恐ろしいものに触れるかのように躊躇った。
死。
喪失。
想像すらしたことの無い現実に久蔵は恐慌に陥る。
「っ―――――…!」
声にならない声が其の喉から迸った瞬間、力なく投げ出されていた兵護の腕が、がっと久蔵の紅い外套を掴んだ。
「…っ、莫迦、めが…っ!」
けほ、と浅く咳き込みながら兵護は血と共に言葉を吐き出す。
「こ…んな事、くらいで、…戦意を、見失うな…!」
喋るだけでも相当な痛みが走るのだろう。眉を寄せ、苦悶の表情を浮かべた兵護の躯を久蔵は腫れ物に触るかのように恐る恐る抱き上げた。
「っ…、敵、は…」
「近くには居らぬ」
「そうか……」
出来うる限り振動を与えないように、しかし出来る限り早く。
気が急くのを押し殺し、細心の注意を払って歩を進める久蔵に兵護は気を抜いたようにぐったりと身体を持たせかけた。
其の重さは信頼の証。
そう受け取り、久蔵は兵護を抱く指に僅かに力を込める。
兵護の傷からの出血は相当なものだ。じとりと己の外套まで其の血に染め上げられてゆくのを久蔵は乱れる自分の鼓動と共に唯見ていることしか出来ない。
既に意識が朦朧としているのか、ふと焦点のあわない何処かぼんやりとした眸を久蔵の顔に向けると兵護は自らの血に濡れた手を伸ばした。
「…なんて、顔、してる――――…」
苦痛を堪える苦しげな顔に微かに苦笑を浮かべ。
久蔵の頬に紅い痕をつけて滑った冷たい指は、其の儘、力を失ったかのように落ちた。
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頬に触れたあの冷たい指の感触を思い出す度にわけも無く苛立った。
立っていた場所が不意に無くなり空から失墜するような、あの感覚。
あの時、兵護は意識を失っただけだというのは判っていた。
抱いた身体からは脈動が伝わってきていた上に、不規則な呼吸音も変わらず聞こえていた。
だというのに、如何して自分がこんなにも動揺しているのかが判らない。
そう、動揺だ。
敵と兵護の血に汚れたままの姿で医務室の扉の傍に蹲る久蔵は声を掛けてくる人間の声など聞こえないかのように微動だにしなかった。
意識を失った兵護を運んできてからずっと久蔵はその場から動こうとしない。
処置が終わり、もう大丈夫だという言葉にだけ唯一反応を見せたが、それ以降も動く様子は無かった。
不安も焦燥も恐怖も、其れまでの久蔵には縁の無いものだった。
初めて覚えた其の感情を言い表す言葉も知らぬまま、唯驚いただけだと、強引に自分の中で決着をつけ。
安堵に眠気を誘われるように久蔵は瞼を閉じた。
了。
当方は画を見て小話のアイデアが浮かぶ事が多う御座います。
序に画から受ける影響が強く、心魅かれる画を見るとついつい其の画の場面の話を考えてしまうという癖も御座います。
とはいえ、その様な事は絵師様の皆様にしてみれば余り気持ちの好いものとはいえない所業だと思って、自重してきたのでは御座いますが。
この画に関しては添えられていたコメントとも相俟って、もう如何しようもなく、上記の事など考えていられないほど、創作意欲が湧きまして…。
「かっ、書きたい書きたい書きたい、やっべ書きてえ!!」という欲望の赴くまま書いて、出来上がったのが此方の小話で御座います。
序にずうずうしくも、矢ッ張りお題は画を描かれた方に付けて頂きたいと無理を云って、つけて頂いたのが「泥む赤」というお題で御座います。
物凄く素敵なお題をどうも有難う御座いました!
そんな素敵な画を描かれる3様の落落。はこちら。