連理




戦艦の上。
白い外衣を風に靡かせ、勘兵衛は凝っと空の向こうを見つめる。
物見の兵は居り、其の報告は絶えず上がっているが、生憎と自らの目で見ないと気が済まぬ性分。
戦況を見極めようと、こうやって物見の真似事をしてしまう。
其れを。
仕様の無いお方ですね、貴方は。
そう云いたげな顔で七郎次は蒼穹を背にして微笑った。
逆光の中、それでもその笑顔は鮮やかに勘兵衛の眸に映る。
「貴方を乗せて何処へでもお連れしますよ、空の彼方でも地獄の果てでも」
すまぬ、そう勘兵衛は口にし掛けて、だが目の前の古女房は其の言葉こそ望んでいないと気づく。
「何時も世話をかける」
言葉を探し、結局見つかったのはそんな在り来たりな言葉で。
しかしその言葉に七郎次は珍しく破顔した。
「神妙な顔をして何を云うかと思えば!」
淡い光を宿す蒼の眸が僅かに色を深め、端麗な造作をした面を彩った。
戦場での戦い振りが嘘の様な穏やかさを浮かべながら其の唇が紡ぐのはまごうこと無き誓約。
「覚悟などとうにしておりますよ。貴方に命を預けると云われたあの日から」



其れは七郎次の操舵する斬艦刀を己の足場とした初めての日。
空に展開する戦場において、生身のサムライたちに絶対に必要とされるのは足場。
幾ら戦艦や機械のサムライたちを渡り往こうとも、所詮生身の身体ではいつまでも空に留まる事は出来ない。
故に対となる斬艦刀が必要だ。だが、其れも信頼できる相手が居る場合のみに限られる。
状況を瞬時に把握し、互いの行動の先を読むことが肝要となる斬艦刀とサムライの組み合わせは逆に言えば、息が合わなければ互いに互いを殺す事になる。
だからこそ対と成る為には其れこそ長年の付き合いが必要だと云われているものを。
島田勘兵衛という男は全く持って頓着しなかった。
発射寸前の斬艦刀の棟にひらりと男に飛び乗られ、七郎次が面食らったのは一瞬。
「おぬしに儂の命を預ける」
名前すら知らぬ透徹した眼差しを持った精悍な顔立ちのサムライに間近でそう囁かれ、その場で覚悟を決めた。
この人の為に死のうと。



未だあの時は斬艦刀に乗って数度目でしたのに、と過去を懐かしむ眼差しで七郎次は呟いた。
「実は儂も乗った斬艦刀の操舵者があれほど若いとは思ってもみなかったのでな、一度は降りようかとも考えたのだが」
眦に笑みを乗せ、勘兵衛は口角の端を上げた。
「おぬしで正解であった」
其れを聞いて七郎次は呆れたと云わんばかりの溜息を吐き。
「まさか何も考えていらっしゃらなかったんですか」
「度胸の好い新人が居ると聞いておったのだが、生憎と齢を尋ね損ねていてな」
「左様で」
顎鬚を擦りながら応えた勘兵衛に胡乱な眼差しを七郎次は投げた。
「しかし、最初から敵戦艦に突っ込むとは度胸が好いのにも程が有ると思うたぞ」
「信じよと云ったのは勘兵衛様ではありませんか」
自分は勘兵衛の言葉に従っただけで、其の張本人からその様な事を云われるのは心外だと七郎次は顔に書いて見せた。



天性のものがあったのだろう。未だ少年の面影が色濃く残る七郎次が真剣な顔つきで操る斬艦刀はぎこちないながらも自在に戦場を駆け抜け。
揺らぐことなく傍に立ち続ける男は戦場を睥睨したまま七郎次に語りかけた。
「儂の命を預けたからにはおぬしとおぬしの駆るこの斬艦刀は儂の身体も同然。何があろうとも守ろう」
其の言葉を七郎次は無条件に信じた。
初めて会った男をどうしてそこまで信じる気になったのかは自分でもわからない。
唯、其の男の発する言葉には重みがあった。
自らの命だけではなく、七郎次の命さえ背負うという重みが。
過信ではない。其れは冷徹なほど程自分の力を見極めた男の自負。
「儂を信じよ。引く時は引き、往く時は往け。
この戦場では疑問を持つな。躊躇うな。迷うな。臆すな。恐れるな」
できるか、と厳しい口調で尋ねた男に七郎次は引き攣った顔で、それでも笑って承知!と応えた。
尤も、次に発された男の言葉に直ぐに其れを後悔する事になったのだが。
「三時方向へ進路を向けよ」
「…敵戦艦しか居りませんが」
「其の戦艦をやる」
何を言い出すのかこの男は。そう思ったが、先程男を信じると決めたばかり。
「…承知!」
自棄になったようにそう叫び、七郎次は口を引き結ぶと男の指示に従った。



柔らかな眼差しで勘兵衛を見つめる七郎次の顔にはもう其の頃の少年の面影は無い。
酸いも甘いも苦いも全て呑み込み、其れでも笑う余裕のある男の顔だ。
「あの時に勘兵衛様の足と成り、次に副官になって腕と呼ばれるようになりましたが、何故か今は古女房」
「不満か」
「否、とんでもない。唯一寸寂しいと思っただけで」
何が寂しいと勘兵衛が問いかけると僅かに目元に照れを滲ませ七郎次は視線を逸らした。
「昔の呼び名だと勘兵衛様の身体の一部に成れたような気がして、其れが嬉しかっただけです」
「女房と呼ばれるのは厭か」
「其れはそれで誇らしゅう御座いますが、矢ッ張り私は勘兵衛様の一部で在りたいもので」
「ならばもう成っているではないか」
勘兵衛の言葉に、は、とぽかんと口を開けた七郎次の間の抜けた顔は見物だった。
「比翼の鳥という言葉を知っているか、七郎次。雌雄各々一目と一翼をもって常に一体となって飛ぶ鳥のことだ。どちらか一方が欠けても成らぬ」
「其れは男女の契りを示す言葉で御座いましょう」
「だが、女房と呼ばれることはそういうことだ。儂の古女房」
…左様で、そう応えるのが精一杯の様子で七郎次は俯いた。
古女房と勘兵衛本人から呼ばれたことは今迄一度も無かった。他の皆から呼ばれると誇らしく思うと同時に、何時も共に居ることを揶揄されているように感じられ、僅かに苦々しく思ったものだが。
どんな顔をしていいのかわからない。嬉しいが恥ずかしい。
だが、十分だと思った。満たされた。此れで悔いは無い。
だというのに。
「腕を無くそうとも足を無くそうとも生きる事はできる。だが、半身をなくして生きる事は適わぬ」
優しい光をその闇色の眼に湛え、勘兵衛は七郎次を真っ直ぐに見据えた。
「何があってもおぬしは生き延びる事を優先せよ。儂のことは構うな」
其の言葉に七郎次の顔に一瞬だけ別の表情が過ぎり。
次の瞬間には晴れやかな笑顔を浮かべ、七郎次は勘兵衛に告げた。
「何を仰います、イツモフタリデで御座いましょう?」



半身を失って生きることが出来ぬのは私も同じ事。









お粗末!









ぼわら」のいすた様へ。