Petal  - さくらの季節 -





ひらり、ひらり。

薄紅色の花びらが部屋の中を舞い上がる。
庭に面した障子が開け放たれており、其処から風に乗って入り込んだらしい。
外から声を掛けたというのに反応が無いことを訝り、ヒョーゴの自室を覘いたキュウゾウは一瞬で状況を把握した。

ヒョーゴの膝の上に開かれた書物の頁が風に吹かれてぱらぱらと音を立てて翻っている。屹度自分が見ても理解できないであろう難解な内容が細かな文字で書かれているのを見て取った。
直ぐ手の届くところには盆に載せられた湯呑みと茶饅頭が置かれている。

そして、其れらを全て放置して穏やかな顔をして眠る男。
今日は好い花見日和だ。風も穏やかで、寒くも無ければ暑すぎもしない。
丁度見頃と成った満開の桜を愛でつつ、久しぶりの休日を読書で過ごす心算が春の陽気に誘われたのだろう。
珍しく、自分が声を掛けても気づかないほど深く寝入っているらしい。
この男の此れ程無防備な寝顔を見たのは何時以来だろう。
随分と久しぶりのような気がしてキュウゾウは繁々と其の寝姿を眺めていた。
最近は眉根に皺を寄せ、難しい顔か疲れた顔で眠っているのしか記憶に無い。
否。
空時代でもこのような顔をして眠っていることは滅多に無かった。
何とはなしに其れが気に入らないような気がしたが、連日の激務で疲れているのだろうと其の侭寝かせておくことにする。
気配を殺し、部屋から出て行こうと踵を返した瞬間。
「……ふ」
と背後から軽い溜め息のような声が耳に入った。
さては起きたのだろうかとキュウゾウは後ろを振り向きかけて。
其の侭の姿勢で固まった。
紫に染められた男の唇が綻び、ふふっという笑い声が溢れる。
其れは、酷く楽しげで。
一瞬、其れを発したのかが誰なのかを信じられず、キュウゾウは幾度か目の前の光景を確かめるように目を瞬かせた。
まさか。
瞠目するキュウゾウの視界の中で、更に無邪気と言っていいほどの笑みがヒョーゴの其の痩せた細面に浮かび、唇が何かの言葉を形作った。
音は伴っていない、其の言葉を。
キュウゾウは唇の動きで読み取り、何と云ったかをはっきり認識する。

名前だ。
幾度も、時に語気も荒く、時に強く、時に優しく、時にため息のように、時に怒りと共に聞いた。


自分が其の時、どのような感情を抱いたのかは記憶に無い。
だが、言葉を発した男が余りにも幸せそうで。



だから、今殺してやろうとキュウゾウは思った。



空から墜ちて以降、この男は何処か苦しげな表情を見せることが多くなった。苛立つ様子は表面上は見せなかったものの、鬱屈しているということは感じていた。
長い付き合いから其の位は分かっている。
ならば、自分がこの男の為に出来ることは何か。
地上で生きるのが其れほど辛いのであれば、いっそ此の侭幸せな夢の中で死なせてやるほうが好いのではないかと、そんなことを考え。

「…キュウゾウっ!!」
気づけば背負った双刀を抜き放ち、斬りかかっていた。其れをヒョーゴは寝起きだというのに俊敏な動作で傍に置いてあった刀を引っ掴むと鞘から半分抜きかけの状態で受ける。
其の姿に、キュウゾウは嗚呼未だこの男はサムライなのだと実感した。
「何用だ!」
ささやかな微睡みの最中にあれほど激烈な殺気を叩きつけられれば、厭でも目が覚める。
酷く幸せな夢を見ていたような気がするのに。
そんな思いと気持ちのよい転寝を邪魔された怒りも手伝って、ヒョーゴの機嫌の悪さは最高潮だ。
「…殺してやろうと」
律儀に答えたキュウゾウの言葉にヒョーゴは一瞬わけが判らないという顔をしたが、直ぐに色眼鏡の奥で甘く垂れた眦がきりきりと吊り上った。其の表情にキュウゾウは無表情のまま、しまったと思うがもう遅い。
力任せに押し返され、体勢が僅かに崩れたところを鞘に収めた刀で力いっぱい殴りつけられた。
こめかみを直撃した衝撃にキュウゾウは思わずたたらを踏んだが、如何にか倒れることだけは堪える。
だが。
手にしていた刀を放り出したヒョーゴの両手が襟元に伸びてきたのを避けることは出来なかった。
ぐっと引き寄せられると同時に、宙に浮く感覚。
投げられたのだと理解した瞬間に容赦なく背中から床に叩きつけられた。逃げようと思っても、脳震盪を起こしたのか体の自由が利かない。
逃れられないまま、鳩尾にヒョーゴの全体重をかけた見事に肘うちが入った。
意識が落ちる直前に、そういえばとキュウゾウは思い出す。

何故か、刀を持たないヒョーゴには一度も勝てたことが無かった。








お粗末!