砂の城 -The Castle of Sand-




夜明け間近の戦艦の甲板に夜目にも鮮やかな金髪がたなびいた。
戦艦全てを覆うように防人領域が展開しているとは言え、流石に全ての気流を防ぐには限度がある。
熱を奪う尖るような空気の中、七郎次の口元から毀れる白い吐息が緒を引いて風に溶けた。

夜の帳が東の空から緩やかに巻き上げられてゆく。
瞬く事すら知らぬ星たちが時と共に色を変える夜色の天鵞絨に融けてゆく。
黒羽、黒紅、濃藍、藍錆、紺藍、紺青、青紫、瑠璃紺、紅掛花、二藍、藤、空。
思い付く儘に知る限りの色の名をあげても到底足らないほどの鮮やかさで空は移ろいゆく。
藍色から青、紫へ。
やがて裾だけをほんのりと橙に染め、蒼へと。
唯、空が蒼に変わる寸前。温かさと同時に苛烈さが同居する一条の光が清冽な空気を貫いた。
それを機にして、星たちの広がる穏やかな闇色から、白く空さえも燃やし尽くそうとする太陽が支配する時へと支配が一瞬にして入れ替わる。
温もりを感じる曙から全ての色を内包した輝く真白き光へと。
七郎次は昂然と顔をあげ、眼を灼くその光を真っ直ぐに見つめ続けた。
眼下に広がるは白い漣が遠く広がる海と見紛うばかりの雲の海。
雲間があれば地の緑か海の青が彩を添えるが、今日は生憎と雲海の白さだけが空の装いらしい。
ならば地上は今頃恵みの雨でも降っているのだろう、と七郎次は僅かに懐かしさを感じながら思った。
雲の上の戦場にあって、地上のように雨が降るということはない。
この雲上に在る戦場に降る雨は狂った雨だ。
豊饒を齎す水ではなく、血と涙と鉄屑の色に染まった死と怨嗟の声で出来た雨。
それは心に降り積もり、やがて身も心も狂わせてゆく。
七郎次の色の薄い眸が揺れるように日の光を柔らかく弾いた。
地の果ては遠く、その眼に映るのは空ばかり。
けれど一度戦が始まれば、数多の機械のサムライたちや戦艦、そして本丸がこの美しく広大な空を塞ぐだろう。

そう、そして自分も共に有るべき人の傍でこの空を彩るのだ。

身動ぎもせずに魅入られたかの如く太陽を見つめたまま動かぬ七郎次の背中に低い声がかけられた。
「眼を傷めるぞ」
同時に視界を白い布が遮る。
「勘兵衛様!」
その布の正体が勘兵衛が常に身に纏っている白い外套だと気づいた時には既に七郎次の体は日差しから守られるように勘兵衛の影で覆われていた。
「どうしてここに…」
「物見の兵が、おぬしが夜明け前から甲板に居るのに未だに戻る様子がないと心配して儂に連絡を遣してな」
「それは…申し訳のない事を」
警戒領域からはまだ離れているとはいえ、いつ敵の襲来があるかはわからない。
其の為、戦艦を護衛するように機械サムライの雷電や紅蜘蛛が何機か物見に配置されているのだが、 それを七郎次はすっかり失念していたらしい。
ずっと己の所業を見られていたことについての羞恥か、それとも思わぬ失態の為か、 頬を染めた七郎次を勘兵衛は珍しいものを見るかのように繁々と眺めた。
それを誤魔化すかのように、ごほんと一つ咳払いをすると七郎次は上目遣いに勘兵衛を見やった。
「…それで、勘兵衛様も私の事を心配なさって?」
「いや」
何か言いかけた言葉を飲み込んで、勘兵衛は七郎次の横に並び立つ。
そして、
「美しいな」
七郎次の言葉を代弁するかのように、呟いた。
「そうですね…戦場とは思えぬほど」
其の答えに何故か勘兵衛は苦笑し、黙って空を見つめる。
日の光は先程のまばゆいばかりの激しさを失い、ただ、燦々と降り注いでいる。
そのまま、半刻ほどの時が過ぎただろうか。
勘兵衛はふっ…とどこか遠い目をして

「勝利に必要なものは何かわかるか」
と七郎次に向けて問うた。
機械サムライの数か、武器の数か。それとも物資の量が多ければ勝ちに繋がるか。
だが、その様に物量ではこちらが圧倒的に不利な状況で戦況が覆されるのを七郎次は幾度となく目にしてきた。
覆したのは自分の傍に立つ軍師だ。
作戦の巧さ、士気の高さ、情報の速さ。
けれどどれも違うような気がして、七郎次は僅かに考え込んだ後、躊躇いながら口を開いた。
「時の運…でしょうか?」
「人の命だ」
勘兵衛はさらりと当然のように言って続ける。
「敵の命だけではない。味方の命も必要とするのが勝利というものだ。敵味方の区別なく、失った命が多いほど大きな勝利を収めたと褒め称えられよう」
勘兵衛の背後の影が濃さを増したように見え、七郎次は何度か目を瞬かせた。
「戦は人の命で出来た砂の城のようなものだ。どれほど積み上げてもやがては消えてゆくばかり」
どれほど強固な砂の城を作り上げたとしても、所詮は砂で出来たものだ。
容易く削られ、形も残らず崩れ去る。
砂のように。
さらさらと指の間から零れ落ちてゆく命たちを救い上げる事も出来ずに、と。
勘兵衛が決して口にはしない言葉を七郎次は確かに聞いたと思った。
味方の屍を踏みつけていくしか前に征む道を知らぬ、と以前上官に向かって言い放った勘兵衛は、けれどその失った命を誰よりも惜しんでいた。
その命の有り様を誰よりも哀しんでいた。
儘ならぬものと知って尚、敵も味方もその命を救おうと。
勝利よりも命を望んで、生き恥晒してと罵られながらも負け戦を淡々と受け入れ続けた。
その不器用な生き方を七郎次は誰よりも近くで見てきた。
そして、そのような人だからこそ惚れたのだ。

けれど。
その様な在り方が見えぬ重荷となってどれほどの負担となっていたのか。
どのような時でも揺るぐ事の無かったその姿勢が揺らいでいる。
古女房と呼ばれるほどに長い年月を共に過ごしてきたというのにこのような勘兵衛の姿を見るのは初めてだった。
手を伸ばせば直ぐ触れられる場所にいるというのに。
どれほど貶められようと、その生き方の如く凛と真っ直ぐに伸びた背中が酷く遠く見えた。
「倦んだのですか」
気がつくとまるで挑発するかのようなそんな言葉が知らず、七郎次の口を搗いて出ていた。
「戦に倦む、か」
だが、その様な七郎次の物言いに感情を乱すことなく勘兵衛は穏やかに応えた。
「儂らサムライにその様なことを云う資格はない。疲弊しているのは儂らよりも農民たちであろう。だが…そうだな、少し疲れたのかもしれぬ」
常は静謐な雰囲気を、戦場では剛毅さを身に纏う勘兵衛の彫りの深い顔に拭い切れぬ疲労の色が僅かに滲んだ。
七郎次はそれを痛ましく思いながらも、どうすることもできない自分に遣り切れなさを覚える。
身体で慰められるのならいっそ簡単だ。
身体を開いて勘兵衛の何もかもを受け入れればいい。
だが、勘兵衛が負っている責任や重圧はそのようなことで七郎次に背負えるものではない。
其れを身に沁みて判っている七郎次は酷く切ない思いで勘兵衛の横顔を見つめた。
それに気づいたのか東の空に向けられていた勘兵衛の視線がふと七郎次に流れた。
「おぬしこそ戦に飽いたのではないか」
「ご冗談を。私が戦に飽きる事が有るとすれば、それは勘兵衛様が戦に飽いた時に他なりませぬ。若しくは私が死んだ時に御座いましょう。この空で勘兵衛様と共に在る限り、この七郎次が戦に倦むことも飽く事も、況してや戦を厭う事など有りましょうか」
惑う事などないと云いたげな七郎次の真っ直ぐな眼差しを勘兵衛は眩しそうに目を細めて受け止めた。
「物好きなことだ」
「勘兵衛様こそ」
しれっと言い返した七郎次を勘兵衛は苦笑しながら見やり。
何気なく問いかけた。
「時に七郎次。おぬし戦が終わった後に何をする」
七郎次はその問いに応えようと口を開きかけ。
自分が答える言葉を持たぬことを知って呆然とした。
ただ、戦場で勘兵衛と共に在れれば良いと思っていた。
生まれたときから戦場が身近にあり、戦があるのが当たり前で。
戦場の空気が身に馴染んだ七郎次であったが、漠然と戦を終わらせなければならないことは理解している。
その反面、サムライであるために戦を続けることが必要だということも判っていた。
それでもいつか来る終わりを。
否応なしに勘兵衛の言葉で思い知らされた。
「…私には判りかねます」
戦が終われば、サムライはどうなるのか。
戦う術しか知らない者たちは。
「戦場しか、知りませぬ故」
僅かに俯き。七郎次はそっと武器を握る事しか知らぬ手を背中に隠した。

自分が何のために戦っているのかと問われれば、戦を終わらせる為だと応えるだろう。
だが、誰のために戦うかと問われたのならば、それは。
主君の為ではなく、ただ勘兵衛の為だけに。

「戦場しか知らぬ、か…」
何も持たぬ自分たちを恥じるかのように、勘兵衛の瞳が寂しげに揺れる。
サムライとして生き、サムライとして死ぬ。
ならば戦場以外を知らぬも道理。
だが、そんな瞳を見ているのが辛く、七郎次は急いで口を開いた。
「しかし、敢えて何かするならば…私は空を見とう御座います」
「空を?」
虚を衝かれたように勘兵衛は目を見開く。
「地上から、凪いだ心で、ただ空を見上げとう御座います。…今のように」
サムライである以上、この戦乱の世に先のことを約束など出来ない。
しかし、それでも。
七郎次が口には出すことのなかった“フタリデ”という言葉を汲み取ったのか、勘兵衛は薄く笑った。
「さて…思わぬ長居をしてしまったな。朝餉の時間だ」
風に米を炊く香が混じる。
「行くぞ」
「承知!」
今までの感傷を全て振り切るかのように勘兵衛はくるりと踵を返し、後ろを振り返ることなく歩き出す。
それを追って七郎次もくるりと向きを変えてそれを追う。

甲板から船室へと入る一瞬、七郎次は甲板を振り返る。
空はどこまでも澄み切った蒼だった。









お粗末!











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