Stygian shore




「――――よう、早かったな」
二度と聞けまいと思っていた声が聞こえ、キュウゾウは閉じていた瞳を思わず見開いた。
声のした方向に顔を向けると近くの岩に腰を掛け、此方を真っ直ぐ見詰めている男が一人。
「…ヒョーゴ」
呟くと十年来の朋輩である男は黄色い色眼鏡の奥の眼を微かに緩ませた。
用心棒時代、常に付き纏っていた何処か鬱屈したような影は其処には無く、空に居た頃のように屈託の無い表情を浮かべている。
嗚呼そうか。キュウゾウは合点した。

俺は死んだのだった。

すんなりと納得し、改めて朋輩を眺めると己の手で斬る前の記憶と寸分違わぬ姿が其処にはあった。
結い上げた髪には簪、唇には紅、そして。
手に提げられているのは鉄砲ではなく紛れも無く軍用刀。
何の変哲も無い大量生産品だが、大戦時の頃から長く共に在った彼の愛刀だ。
「…矢張り、鉄砲よりも此方の方が俺の性にあっているらしい」
キュウゾウの視線の先にあるものが何なのかを察して、苦笑と共にヒョーゴは呟いた。
其れを見て、キュウゾウの心に歓喜の念が広がる。
サムライとしての魂が其処にはある。
其れはヒョーゴが未だサムライだという事を表していた。
「あの男が未だ来ないということは、お前が負けたという事か?」
あたりを見回し新たな人影が無いことを確かめたヒョーゴが尋ねると、キュウゾウは首を振った。
「否、鉄砲にやられた。…あの男との勝負は未だだ」
そして小さく付け加える。
「村で待つ、と約した」
「そうか」
それ故おぬしとは未だ行けぬ、と言外に含んだ言葉に頷き、ヒョーゴは岩から立ち上がる。
「…待つことには慣れているさ」
ずっと今まで待ち続けてきた。
放っておけば何処へ行くかも知れぬこの男を。
そう心の中で思いながら、ヒョーゴはすらりと己の刀を抜いた。
「あの男が此処に来るまで未だ当分時が在るであろうよ。其れまで、手合わせ願おうか」
に、と口の端を吊り上げキュウゾウも其れに応じた。
背負った両刀に手を沿え呼吸を一つ。

「…参る」