観梅の宴




今宵は花見の宴。
早春を告げる梅の花の香りが馥郁と漂い、花に負けず劣らず美しい女たちの笑いさざめく声が響く。
見目良い女たちの酌を受け、日頃はウキョウや御前用心棒として雇われている男たちが相好を崩している中で、不機嫌そうに額にしわを寄せ、手酌で酒を干している人間が居た。
御前が全幅の信頼を寄せる二本の懐刀のうちの一人、ヒョーゴ。
誰も近寄れない雰囲気で飲んでいたかと思うと、紅い簪を挿した男はふらりと立ち上がった。


「おい、飲んでいるか」
酔いに目元を紅く染め、とろりとした目付きでヒョーゴは一人で酒を黙々と口に運んでいたキュウゾウへとにじり寄った。
キュウゾウもヒョーゴとは別の意味で近寄りがたい雰囲気を持っている。
其の整った容貌にちらちらと視線を送る酌女は多いが、誰一人として近付こうとするものは居なかった。
女の代わりに寄ってきたヒョーゴを一瞥し、キュウゾウは一言。
「…飲み過ぎだ」
そう言い放った。
「此れが飲まずに居られるか」
キュウゾウの前に置かれた膳から銚子を引っつかむとヒョーゴは直接口をつけて呷った。
綺麗に反った喉を数度鳴らし、飲み干すとタンっと屋台で酒を頼む飲んだくれの親父のように勢い好く銚子を膳に叩き付ける。
そうして、ふう、と溜息をついた。
もう一杯、と云うのだろうか。
キュウゾウが仄かな期待を胸にヒョーゴを見つめていると、ぎっと睨まれた。
どうやら何を考えているのかを読まれたらしい。
「…女と間違えられたくらいで」
仕方なく言葉を継ぐと、更に射殺されそうな眼で睨みつけられた。
「女と間違えられたくらいで、だと?」
完全に据わった眼がキュウゾウを見据えた。
「ああ、後姿で女と間違えられるだけなら俺も此処まで管を巻かんさ。だがな…!」


この時期に限らずアキンドたちを集めた宴はかなり頻繁に開かれる。
アキンドの顔ぶれは違えども、目的はどれも同じだ。
繋がりを保つ、情報を交換する、金の貸し借り、その他のやり取りがうんざりするほど繰り返される。
唯、この時期の宴の名目が花見だというだけ。
御前は最初の少しだけ顔を出し、あとは集まったアキンドたちの羽目を外した乱痴気騒ぎが始まる。
ヒョーゴに声を掛けてきたのはそんなアキンドたちの中の一人だった。
「おい、其処の髪の長い女」
呼びかけられると同時に辺りの気配を探って、このあたりには自分と呼びかけた男の他には警護のかむろ衆の気配しかない事を確認する。
と成れば”髪の長い”という言葉は自分を示している可能性が高い。
まあ、本当に自分を指しているかどうかは判らなかったが取り合えずヒョーゴは振り返ってみた。
視界に入ってきたのは完全に出来上がっている風のでっぷりと脂ぎった中年男。
この男を茹で上げれば樽一杯の油が取れそうだ、と埒も無い考えが頭を過ぎる。
酒を口にした覚えは無いが、どうやら自分は酔っているらしい。
そう思わないとやっていられないこの状況でヒョーゴは男を見下ろす。
刃物などとは全く縁の無さそうな人間だが、一応警戒は怠らず、いつでも刀は抜けるよう肩の力を抜いた。
「おお、気位が高そうな所がいいのう」
好色そうな笑みを浮かべた男がふらふらと自分に近付いてくるのを確認して、ヒョーゴは初めて口を開いた。
「生憎と俺は女ではない」
酒で濁った眼には髪が長ければどんな奴でも女に見えるのだろう。
いっそのこと若か御前に同じような声を掛けて無礼討ちにでもされてしまえ。
その様なコトをつらつらと思いながら、ヒョーゴは男を一瞥した。
「失礼する」
踵を返しかけたヒョーゴのコートを男が掴み、懐から金の包みを見せびらかした。
「まあ、そう連れない事を云うな。ん?金ならほれたんまりあるゆえ、な」
女ではない、と云っているのが聞こえなかったのかこのド低脳が。
危うく刀に手が伸びそうになるのを理性がとめる。
自分が放っている殺気すら感じる事の出来ないような人間を、況してや御前の客を用心棒である自分が斬るわけにはいかない。
「…だから、俺は男だと」
言いかけたヒョーゴの挙動が全て止まった。
男以外の辺りの雰囲気も凍りつく。
酒臭い息を吐きながら脂ぎった手で男はヒョーゴの手袋を外して手を握ると、もう片方の手で尻を撫で回していた。
「何、わしは男でも女でも構わぬのでな。そなたこそ、その様な傾いた格好をしておるからにはどうせ男妾か何かであろう?ん?」
プツッと何かが切れる音がした。
「ヒョーゴ様、なりませぬ!」
「どうかお引き下さい!」
血相を変えて飛び出してきたかむろ衆二人組みが男を羽交い絞めにしてヒョーゴから引き剥がす。 其の刹那。
光が閃いたとしか思えなかった。
りん、とヒョーゴの手元で鍔鳴りの音だけが小さく響く。
「お客人がお帰りになるそうだ」
そう吐き捨てるとヒョーゴはくるりと背を向け去ってゆく。
其の後ろで。
何が起こったのかわからぬといった顔をした男の皮一枚傷つけられることなく綺麗に剃られた頭の天辺からはらはらと落ちた髪の毛と、更に切れた帯と下着が風に吹かれて廊下に力なく横たわった。

「…意趣返しはしたのであろう」
「其れだけで気が晴れるものかっ!」
完全に酔いの回ったヒョーゴに胸倉を捕まれ、キュウゾウはがくがくと前後に揺さぶられた。
重症だな。キュウゾウは思った。
元々、ヒョーゴは余り酒を好む性質ではない。精々下戸よりかは飲めるかといった程度だ。
其れが此処まで飲むとは余程の鬱憤が溜まっているのだろう。
其の鬱憤の一端どころかほぼ九割の原因が自分にあるということを知って知らずか、キュウゾウは大人しくヒョーゴの相手を務めていた。
「聞いて居るのか、キュウゾウ!」
「…聞いている」
酔っ払いの繰言にキュウゾウは律儀に返事を返したが、抑揚の無い声からは本当に聞いているのかは判らなかった。

「だから…っ」
云い止したヒョーゴの上体が不意にぐらりと傾いだ。
予測していたキュウゾウは慌てることなく腕を伸ばすと、其の身体を支えて己の胸に寄りかからせる。
「云わぬ事だ」
表情は変わらぬものの、いつにない穏やかさを見せたキュウゾウに周りで、酌女とはまた別に雑用などで忙しく働いていたかむろたちは目を剥いた。
「…気分が悪い。目が回る。吐きそうだ」
額をキュウゾウの肩に預けて弱弱しく呟いたヒョーゴの背をキュウゾウは不器用な仕種で撫でた。
「吐きたければ吐いていい。少し、休め」
「ん…、そうか。…そうだな…」
「疲れているのだろう」
お前のせいでな。
そう云いたげにヒョーゴは口を開いたが、結局何も言わずに眼を瞑った。
元々血色の悪い顔から更に血の気が引いて、顔色が透き通るように白い中で唇に置かれた紅の色だけが色鮮やかに映える。
「肩を…借りる…」
不明瞭に呟いたヒョーゴの語尾が寝息に変わった。
眠りに落ち、完全に体重を預けられた形になったヒョーゴの身体を抱き寄せキュウゾウは余人にはわからぬ程度に目元を和ませた。

信頼されているのだと。
何気ない行動で示される事。




因みに其の二人のやり取りを運悪く目にした桃色頭のボウガン使いの男が「て、てめ、この金ピカ頭っ、ヒョーゴさんから離れろぉ!!」と半狂乱になり、センサー男とゴーグルを掛けた男に羽交い絞めされつつ、「はいはい、わかったわかったいい子だから酒でも飲んで潰れてしまえ」と宥められていたが、キュウゾウの意識には全く入っていなかった。




お粗末