優
「七郎次」
そう、自分に向かって微かに目元を和ませるだけの笑みを浮かべ。
勘兵衛は言葉を紡いだ。
「今まで、よく尽くしてくれた」
其の言葉一つで気づく。
もう、この人は自分を傍から手放す心算なのだと。
どれだけの年月をこの人と共に過ごしてきたのか、最早数える事すらしていない。
出会ってから一年は目まぐるしく変わる環境に慣れるだけで精一杯の生活。
2年目は戦場を自ら駆ける勘兵衛についていくことに苦心惨憺する毎日。
4年目からは其れなりに慣れたが、勘兵衛の言動に振り回される日々は相変わらず。
7年目にして漸く勘兵衛の短い指示だけで自分の成すべき事がわかるようになり。
そして今は。
名を呼ばれるだけで勘兵衛が何を言いたいのか理解できるようになった。
此れからも永遠に共に在れると思っていたわけではない。
此処は戦場。遥かな未来など思い描く事すら無駄なことだ。
だが、自分が果てるときは主の傍で。
勘兵衛が果てるときは、自分も一緒に逝くのだと無条件に思っていた。
其れを。
「まさかこの私を置いていくとでも云われるお心算ですか」
怒りか哀しみかに震えそうになるのを抑え、精々呆れたような声音を作って応える。本音は冗談に紛らわせ、真情は上っ面に押し隠し、何事も無いかのように装って。
「足が無ければ勘兵衛様もお困りでしょうに」
「七郎次」
やんわりと宥めるような声音を聞かぬ振りをする。
「何を言われても無駄です。私は」
「儂に殉じる事は無い」
穏やかな眸で告げられた言葉に、右手に刻まれた六花の紋が疼き、無意識に左手で押さえた。
同じものが勘兵衛の両手にも咲いているというのに。
生きて還ると誓った其の絆を、其の口で否定するのか。
「イツモフタリデと仰いました。ならば私も最期まで勘兵衛様にお供するのみ」
「許さぬ。生きよと云ったのを忘れたか」
「しかと覚えております。貴方の言葉なら、全部。…ですが、貴方と命運を共にすると決めたのはこの私です」
其れを否定する事は他の誰にも許さない。
其れが例え、―――――忠誠を誓う主当人だとしても。
「其れが叶わぬというのなら、どうか貴方の手で私を殺してください」
見開かれた勘兵衛の目に厳しい光が宿る。
「今、この場で、お斬り捨て下さい」
其の言葉に勘兵衛の右手が柄に掛けられ、微かな鍔鳴りを響かせた。
脅しとは思えない程の強い純粋な殺気が七郎次に放たれる。
だが、其れを恐れる様子は全く見せず。
七郎次は逸らすことなく勘兵衛の眸を真っ直ぐに見据えた。
其の儘、どれほどの時間そうしていたのか。
数瞬か、其れとも数刻か、判らぬほど殺気を孕んだ緊張感が睨み合った二人を包む。
其れを壊したのは勘兵衛の口から洩れた低い声だった。
「後悔せぬか」
「貴方に殺されるならば本望だと云ったのは嘘ではありません」
其れが間接的なものであろうと直接的なものであろうと違いは無い。
勘兵衛を守って死ぬのも、其の手で死を与えられるのも七郎次にとっては同じことだ。
この男と出逢った頃から自分は全く変わっていない。
変わったといえるのは唯一、この思いの深さだけ。
「…頑迷な」
苦いものを飲み下したような口調で勘兵衛は呟き、絡んでいた視線が逸らされた。
同時に張り詰めていた空気が緩む。
「其れは主に似たのでしょう」
嘯くと、七郎次は手を伸ばし、小難しい顔をした勘兵衛の頬に愛しげな仕種で指を沿わせた。
其の口から仕方が無いと言いたげな溜息が落ちるのも気にせず、爪先立つと唇を寄せる。
「…相変わらずお優しいお方だ」
重なる寸前に呟いた言葉は音に成らないまま、呑み込まれる。
勘兵衛は其の優しさがどれ程自分を傷つけているのか知らないのだろう。
けれど、其れでも構わないのだ。
貴方から与えられるものならば、痛みですら愛しいのだから。
お粗末!
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