White in the dark
「昨日ハナカケに教えてもらってな。見事なものであろう?」
厳しい表情を浮かべることの多い顔を綻ばせて、宵闇の中咲き誇る桜を見上げるヒョーゴを見ながらキュウゾウは思った。
あのボウガン使いの一番の失敗はこの桜のことを誰にも教えるな、特に俺には、とヒョーゴに口止めしなかった事だろう。
珍しい事に態々眼鏡まで外して見入っている。 余程この場所を気に入ったらしい。
「しかし、今日は寒いな。花冷えという奴か」
外套の襟をかきあわせ、云いながら此方を振り向いたヒョーゴに向かってキュウゾウは黙って頷いて見せた。
このように人が滅多に来ないであろう場所にまで律儀に配置されている灯籠の灯にぼんやりと浮かび上がり、花を散らす桜に視線を向ける。
キュウゾウ自身は桜に大して興味は無い。
単純に美しいとは思うものの、其れ以上でも其れ以下でもない。もののあはれなどという情緒とは無縁。
そんな自分がヒョーゴの誘いに黙ってついてきたのは。
桜より、桜を眺めるヒョーゴの貌が見たいと思ったからだ。
空に居た頃は、春になり桜が咲くと決まってヒョーゴは嬉しそうな様子を見せていた。
眼下に咲いた花を愛でながら彼にしては珍しい事に部隊の皆と酒を飲み、一緒になって楽しそうに笑っていたのを鮮明に覚えている。
同じ表情が見られると思ったわけではない。
だが、苛立ちを昔のように露わに出来ないだけ、より鬱屈したものを抱えているであろう今のヒョーゴが桜を見て一時でも穏やかな気分に成れば好いと思っただけだ。
ヒョーゴが好むものは知っている。
桜を好み、戦を好み、美しいものを好み、血を好み、儚いものを好む。
其れに付き合えと云われて、自分が断わる筈も無い。
視界を遮る花片に対し戯れに片手で抜いた刃を向ける。
昔も戦が無い時はこうやって紙片を上部からばら撒いてはひらひらと落ちてくる其れを斬る遊びをしたものだった。
勿論賭け事の対象としてである。
超振動はなしで、どれだけ細かく刻む事が出来るか。
其れを競って誰もが熱中したものだが、キュウゾウが其の面子に混じると賭けにならなくなるので直ぐに其れは廃れた。
その際、「…お前が手を抜くという事を知っている人間であったらな…」とヒョーゴにぼやかれたが、何故そんな事を云われたのか未だに判らない。
キュウゾウの手に握られた、降り注ぐ花びらを映す研き抜かれた玉鋼にヒョーゴはちらりと目線を送った。
同時にヒョーゴもキュウゾウと同じ事を思い出したのか唇に浮かんだ笑みが深くなる。
「あの頃は――――」
機嫌が好いのだろう。珍しく饒舌なヒョーゴの声に耳を傾ける。
「おぬしに幾らか稼がせては貰ったものの、矢張りあれは惜しかったな。もう少しおぬしが融通の利く男であれば…。まぁ、今更云っても詮無い事だが」
「…賭けて居たのか」
賭け事とは一切無縁だと思っていた相手の予想外な過去にキュウゾウは僅かに眼を見張った。
其の堅実さはよく知っている。博打に現を抜かすような男ではない事も。
「何だ、俺が賭けをしていたのがそんなに意外だったか?」
顎を深く引いて肯定の意を示す。すると。
「だが、勝つと判っていながら賭けぬ道理はあるまいよ」
男は当然の様にそう嘯き、嫣然と微笑った。
分の悪い賭けは絶対にしない。
逆に言えば、そのヒョーゴという男が自分に賭けたという事は。
必ず自分が勝つと信じていたからだ。
確かにキュウゾウは自分が負けるとは思っていなかったが、このような形でヒョーゴの自分に対する信頼を露わにされるとは思ってもみなかった。
「花びらを斬るのは好いが、木は切るなよ」
「…承知」
笑いを含んだ其の様子に何とはなしに胸の辺りに暖かいものが満ちたような気がしてキュウゾウは首を傾げた。
其れを表す言葉を"喜び"だと気づかぬまま、だが悪いものではないと思った。
桜花の下に佇む男の邪魔をしないよう、出来うる限りの音を殺す。
闇の中、降り続く花片に向けて緩やかに刃を空に滑らせた。
何時ものように素早く太刀を振ると花びらに逃げられてしまう。
だから、風を起さぬよう、優しく、撫でるように。
そして。
刃が花と接した瞬間だけ、力を込める。
次の瞬間、二つに分かたれた花弁が風に吹かれて舞い落ちた。
「桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿といってな。梅は切らぬと枝が伸びすぎて花を咲かせなくなり、逆に桜の木の枝は切ると…」
桜に眼を向けたまま語り続けるヒョーゴの傍でキュウゾウは刃を手にして花片相手に戯れる。
足先が地面に積もる花びらを舞い上げ、宙を流れるように太刀がゆらりと輝いた。
と。
「…あ」
「あ!?」
不吉な声を発したキュウゾウに勢いよくヒョーゴは振り返った。
思いっきり胡乱な眼差しで自分を見つめるヒョーゴに違うと首を振り。
キュウゾウは頭上を示した。
「雪だ」
ひらひらと舞い落ちる桜の花びらに混じって真っ白な雪が降る。
眼鏡を外しているヒョーゴにはぼんやりとしか見えず区別がつかないが、肌に触れた冷たさにキュウゾウの言葉が嘘でも何でもないことを知った。
夢でも幻でもない白く穢れなく無垢な色は薄紅に紛れ、夢幻を醸す。
春を象徴する桜と冬を象徴する雪の饗宴。
しん、と痛いほどの静寂に包まれて二度とは見られぬであろう刹那の景色を二人は声も無く見詰めた。
「…道理で寒いわけだ」
言葉と共に吐き出す息の白さに身を包む気温の低さを知る。
伸ばしたヒョーゴの手に淡い雪華が一瞬だけ残り、そして溶けて消えた。
自然の悪戯というには余りにも儚く美しい其の泡影。
語るべき言葉も無く佇む二人が見上げる先は白く花霞む宵の空。
其の幻想的な雰囲気を見事に壊したのは。
ぺち、というこの場に似合わぬ可愛らしい音だった。
其の聞き慣れたくしゃみの音にヒョーゴはこの場に居るもう一人の男を何ともいえない気分で見やる。
「…キュウゾウ」
寒いなら寒いと云え!と言いかけて、代わりに溜息をついた。
この男はどれだけ寒かろうが、退屈だと思おうが、自分が満足して戻ると言い出すまで唯黙ってこの場に居続けるだろう。
そういう人間なのだ。
だから、このキュウゾウが桜などに興味が無い事を知っていながら、そ知らぬ顔をして連れて来た。
傍に居るだけで安心するからだなんて、当人には口が裂けても言うつもりは無いが。
「…戻るか」
「好いのか?」
名残惜しげに呟いたヒョーゴの言葉に珍しくキュウゾウは是以外の言葉を返した。
「此の侭ではお前が風邪を引くであろうが。明日も仕事があるのだぞ」
「構わぬ」
「俺が構う!」
どうせ皺寄せが来るのは全て自分なのだ。此処で予防線を張っておいて何が悪い。
「大体お前が風邪を引いて一番迷惑を蒙るのは俺なんだぞ!おぬしの居ない間は仕事が二倍に増える上、おぬしの看病も其の合間にせねばならぬし、おぬしの風邪が治ったら移される。そして俺が寝込めば寝込んだで、其の後におぬしに対する愚痴を聞かされる俺の身にもなれ。拠って、風邪を引かぬうちにさっさと戻る。判ったか!」
憎まれ口を叩きながら、手袋の指先を噛んで外すとヒョーゴは素の手をキュウゾウの冷たく悴んでいるであろう手に向かって伸ばした。
自分がしようとしている行動に頬に血が上るのを自覚する。
だが、この寒い中、自分の我侭につき合わせて悪いとは思っているのだ。
素直に其れを表す事が出来ないだけで。
だから。
「承知」
首を上下に振ったキュウゾウの頭から雪交じりの花びらがはらはらと落ちる。
自分の頭も同じ状況だろうと思いつつ、羞恥を堪えヒョーゴはキュウゾウの指に己の指を絡ませた。
思った通り、ひやりとして氷のように冷たい。
「…部屋へ帰るぞ」
せめて自分の温もりが此の冷たい手に熱を分け与えられればと思い。
「…ヒョーゴ」
呼ぶ声に俯いていた顔を上げ、唇に暖かな吐息が落ちてくるのを許した。
お粗末!
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